大判例

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高松高等裁判所 昭和47年(ネ)97号 判決

控訴人

愛媛県

右代表者

白石春樹

右訴訟代理人

米田正弌

右指定代理人

大谷光利

外四名

被控訴人

藤田晴夫

被控訴人

藤田富子

右両名訴訟代理人

武田博

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人ら各自に対し、それぞれ金一八〇万円およびこれに対する昭和四六年九月九日から支払済までの年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一・二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その一を被控訴人らの各負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人らの長男啓一(昭和三六年一〇月四日生)が昭和四年七月四日午後五時三〇分ころ、愛媛県北宇和郡吉田町大字御殿内の河内川で溺死したこと、同人が溺死した右場所は、河川管理者である愛媛県知事において、昭和四五年九月ころから河川敷の拡幅ならびに新設水門壅壁工事(河小規第九号、小規模河川内川改良工事、同知事が昭和二七年から継続的に施行してきた河内川改修工事の一環である河積増加、河道の整正、拡幅河床の掘さく工事とそれに付帯する管理施設の設置工事に当る。以下この工事にかかる設備の全体を水門または水門設備という。)を施行し、昭和四六年三月末ころその第一期工事が終了した場所であることは当事者間に争いがない。

二そこで、啓一が前記場所においてどのような経過をたどつて溺死するにいたつたかについて考察する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

すなわち、本件事故現場は、前記工事が施行される以前においては、旧第一水門(汐留水門)より上流が、高さ約二メートル、五〇度勾配の石積護岸によつて両岸が区画された幅員約9.50メートルの小規模河川で、平素は流水量が極めて少なく、所々に河床が露出し、水深も全般に浅く(深くても二〜三〇センチメートル)、満潮時においても、同水門が自働的に閉ざされて潮流の溯上を防ぐのでわずかに増水をみる程度であつて水深の格段の変化はなかつた。

しかし、本件事故当時においては、同水門の上流約一〇メートル付近から更にその上流にかけて前記水門工事が施行されたのにともない、その付近の状況は次のとおり変化することとなつた(別紙図面は同水門設備の一部、同水門の壅壁付近を示したものである。)。

すなわち、満潮時に滞留した水門上流の水を干潮時に下流に急速に疎通させる目的のもとに、河床の一部を幅約一九メートルに拡張するとともに、従前の河床より約1.50メートル掘り下げ、その掘さく部分の両側に直立したコンクリート壅壁を設けて護岸の一部とし、さらに東側コンクリート壅壁の上流側の端付近から川中央に向い直角に突き出る形で、土留用「からみ」(木杭を打ち、竹をからんだもので水面下八〇センチメートル位に沈んでいる。)を川幅の中央付近まで設け、両岸のコンクリート壅壁と残存している在来の石積護岸との間をそれぞれ第二期工事までの暫定的工事として、河床から麻袋詰め土のうを数段に積み重ねて連絡させた。その結果、右「からみ」より上流は従前どおりの河床であつて水深も浅いが、「からみ」付近でさえも以前の河床よりも約五〇センチメートル低下して水深もそれだけ増し、さらに「からみ」から下流に向い「からみ」を境として急激に水深が約1.8メートルに増す形状となつた。

啓一は事故当時小学校四年生であつて事故の一週間位前ごろ学校で教材用の水棲昆虫の採集を指示され、そのころ父の被控訴人晴夫とともに昆虫採集のため右水門の付近に行つたのであるが、事故当日の午前中にも単独で昆虫採集に出かけ一旦帰宅した後、さらに午後にも虫かごと約二メートルの長さの昆虫採集用の「すいで」(虫取り網)等をもち、半袖シャツ、半ズボンの姿で昆虫採集に出た。しかし、そのまま同日午後五時を過ぎても帰宅しなかつたところから、その安否を気づかつた被控訴人らにおいて方々を探索し、右水門付近を探しているうちに、別紙図面のA点(すなわち、東側コンクリート壅壁と石積護岸との間の連絡に積み重ねた土のう部分の上方護岸上の小道の辺に当る。)付近に啓一が当日携行していた昆虫採集用虫かごと魚の入つたばけつが置いてあり、また付近の水面に啓一の草履が浮いていたところから、同人が同水門付近において水死したおそれもあることが懸念され、被控訴人らにおいてさらに探索を続けているうちに、同日午後八時三〇分ころ同水門内、東側コンクリート壅壁から約一メートル、「からみ」から下流に約二メートルの川底に溺死体となつて沈んでいるのが発見された。そして、同人は同日午後五時三〇分ころ死亡したものと推定された。

しかして、東側コンクリート壅壁は水面上約二メートルに直立しており、同壅壁の上流側端と石積護岸とを連絡する土のう積みの部分は長さ約7.2メートルのほぼ全面にわたり水際線に沿つて土のうが約三〇センチメートル位の高さに水面上に出ており、その上は立ち入るのには狭隘で足場がよくないが、五〜六〇センチメートル幅のほぼ平らな面(以下第一段階という。)となつており、その上方には高さ約七〇センチメートル、約五〇度勾配の土手が続き、土手の上は川側に向つて緩やかに傾斜した面となつている(以下第二段階という。)土のう部分付近の水深は下流のコンクリート壅壁寄りの箇所において約五五センチメートル(但し、事故後約五か月、工事後約八か月余経過した、原審検証時の昭和四六年一二月一三日当時の状況であつて、事故当時より時間の経過による土砂の幾分かの堆積も考慮されないではない。)であるが、上流に向つて徐々に浅くなり、土のう部分のうち、コンクリート壅壁寄りの一部を除き、それより上流側の水備深は平常時においては極めて浅くなつている。土のう部分の上流側に接続する石積護岸は前述のとおり高さ約二メートル、約五〇度勾配の法面をもつ石積みであり、これは工事施行の以前と変りがなく、その付近の水深は平常時においては極めて浅くなつている。そして、第二段階上に居てそこから長さ約二メートルの柄がついた「すいで」により水中をすくうことは地表に腹ばいになれば不可能ではないが身体の状況が不安定となり危険である。土のう部分から川内に立入ることは極めて容易である。

啓一は水泳ができず、学校での水泳訓練の際には水を恐怖し、水に顔をつけることも嫌忌していた。

啓一が溺死体で発見されるまでの経緯および溺死事故の現場となつた前記水門の、工事前後の状況とその変化は以上のとおりであり、この認定に反する証拠はない。

右事実から、啓一がどのような経路をへて前記のような地点において溺死体となつて発見されるにいたつたのかについて考察するのに、先ず、虫かごと魚の入つたばけつが同水門東側コンクリート壅壁上流の土のう部分上方第二段階の上に置いてあつたこと、啓一が「からみ」の下流約二メートルの所で溺死体で発見され、その付近で溺死したと考えられること、から見て、同人は事故当日の午後単独で水棲昆虫等の採集のため同水門東側護岸付近に行き、前記虫かごやばけつの置いてあつた近くで虫取りをしようとしていて誤つて溺死したものと考えられる。

では、虫かご等の置いてあつた近くのどの辺から、どのようにして水中に入つたかを更に考えてみると、同水門の東側コンクリート壅壁は、水面上約二メートルの高さに突出していて、その上から腹ばうなどの姿勢で「すいで」により水中をすくうことは不可能に近く、啓一が近くの第一段階からならば容易に水中をすくうことができるのにわざわざコンクリート壅壁の上からすくおうとし誤つて川に転落したと考える余地はほとんどない。もしかりにそのような場合を想定すれば、啓一の身体に何らかの擦過傷などが残ると考えられるのに乙第一二号証、第一七号証によつてもその痕跡がないので、この点からも右のような事故と考える余地は存しない。あるいはまた啓一が壅壁上を歩いているうちにつまづいて水中に転落したことも考える余地がないではないが、これは稀有の事例であり、またこの場合も前同様啓一の身体に何らかの傷痕が残ると考えられるから、かような事態も考慮外としてよいと思われる。

さらに、土のうの第一段階に立ち入つているうちに、積み重ねられた土のうの一部が崩落し、それにともなつて啓一が水中に転落したと考えることも、土のうが崩落したと認められる確かな証拠がなく無理である。

したがつて、事故前後の前記状況からもつとも自然に考えられるのは次の二つの場合である。

すなわち、啓一は、「すいで」により水中をすくうのに、最も便利な土のう部分の第一段階のうち東側コンクリート壅壁寄りの部分に立ち入つているうちに前記のように足場が悪いため、何らかのはずみで転落し(この場合は土のう部分の高さからみて傷痕が残るとは必ずしも考えられない。)、「からみ」をこえてその下流の深みに移動したか、あるいは第一段階の石積護岸寄りの部分かまたはすぐ近くの石積護岸部分から川の浅瀬に立入つている(石積護岸の構造、傾斜、高さから推して同部分から川に立入ることも可能であつたと考えられる。)うちに深みにはまり、「からみ」をこえてその下流の一層深い場所に移動したか、そのいずれかにより前記遺体発見場所付近において、水泳ができないことと相俟ち、脱出不能となつて溺死したものと推断される。

三そこで、愛媛県知事の同水門設備の管理について瑕疵があつたかどうかについて検討する。

(一)  前記二で認定したところによれば、同水門付近は工事施行後水深の増加等により格段に危険な状態となつたというべきであるところ、証人金沢義雄、同宮住七夫(いずれも原審)、同清家定一郎の各証言と右認定の事実とを総合すると同水門およびその上、下流付近一帯は工事施行の以前においては水深が浅く平常時において溺死事故が発生することなど全く考慮する余地のない安全な場所であつて、付近の住民、ことに児童らが時々魚釣りや魚すくいなどに来ていたことが認められ、また乙第一号証ないし第四号証、第八号証ないし第一〇号証、原審および当審における検証の結果によると、同水門の付近は吉田町の市街地からかなり離れていて人家の密集している地域とはいえないが、近くにはかなりの数の人家が散在していることが認められこれらの認定に反する証拠はない。

したがつて、付近住民の居住状況や従前からの前記利用状況(それが児童らの遊び場といえる程度に多数の者により頻繁に利用されていたかどうかを問わない。)からすれば、同水門付近の一連の改修工事が完了して壅壁の整備が完成し、危険が除去されたかあるいは付近住民が危険な状態について的確な認識をもつて対処できるような状況となつた場合は格別、前記のようにいまだ第一期工事を終えて間もなく、かつ同水門の上流一帯の状況が従前と変りがないという前記諸事情のもとでは、児童などの付近の住民が同水門付近が格段に危険な状態に変化したことについての的確な認識をもたないままに、従前と同様に同水門付近において魚取りなどをしようとして水際に近づき、あるいは川内に立ち入ることが予測されないことではなかつたのである。そうだとすると、ひいては本件のような経過をたどつて同様の結果をもたらすこともまた予測できないことではない状態にあつたというべきである。

しかして、前記認定の事情からすると、啓一が溺死するにいたつたそもそもの原因は同水門付近が右のように危険な状態に変化したのに、水泳のできない同人がその変化について的確な認識をもたずに同所付近に立ち入つたことにあるといわねばならない。

(二)  ところで、公の営造物の設置ないし管理に瑕疵がある場合(国家賠償法二条)とは、当該営造物が本来備えるべき安全性を欠いている状態をいうものであるが、何が瑕疵に当るかは各種の営造物について周囲のあ境、通常の利用方法等の関係を考慮して具体的に決すべきものである。河川についてはこれが自然公物として自然に存するままで前記法条の公の営造物に当るかについては問題があるが、少くとも本件のようにその管理方法として水門を設置したような場合にはこれが設置、管理について営造物責任の問題を生ずることは論ずるまでもない。

控訴人は河川管理について瑕疵があるとされるのは、河川の通常予見すべき危険、すなわち河川の機能の喪失、減退等にともなう災害等の危険に対して河川の通常備えるべき安全性を欠く場合を指すものであり、河川についてどの程度の安全性を保持すべきかは、各河川の具体的な危険状況に応じ、財政上の能否をも勘案して総合的に決定されるべきこと、前記水門設備においては工事が計画どおり完成し、機能上何ら支障がなかつたこと、河川は自然公物であり、住民一般の自由使用に供されるものであつて、住民は自らの責任において危険を防止しつつ河川を利用すべきものとして従来からそのように利用されてきたこと、したがつて、河川の個々の危険箇所につき管理者が危険防除の措置を講ずる義務はないこと、さらに本件事故が被害者側の一方的な過失に起因して生じたこと、をそれぞれ理由として、前記水門設備の設置、管理につき瑕疵がなかつたと主張している。

河川がいわゆる自然公物であつて、公衆一般の自由使用に供され、個々の河川利用にともなう危険は、利用者たる住民自らの責任により防除されるべきものとする河川の特殊性は一般には認められてよいし、また河川管理者が河川管理のために設置した営造物がその設置目的に従つて通常備えるべき安全性を備え、営造物の機能上にも欠陥のない限り一応、主張のように安全性を具備していると認めて差支はない。

しかし、河川管理者が河川管理のために新たな営造物を設置し、河川の従来の状態に変更を加えたときは、河川ないしは営造物のもつべき安全性とは叙上の点のみに止まらないのであり、河川が長く一定の状態のまま一般公衆の共同の使用に供される公共用物であることの性質上利用者がその変更に十分気付かず従前どおりの使用を継続するであろうと、その状況からして予測するのが相当とされ、かつ、その使用により危険の生ずるおそれのあることが予見されるような場合には、かような状態に対し危険防除のための適切な処置が施されることもまた河川ないし営造物のもつべき安全性の一つであると解される。したがつて、そのような処置がなされずに放置されることは河川ないし営造物のもつべき安全性を欠くものであり、その管理に瑕疵がある場合に該るというべきである。

ただかような安全性を欠くや否やは、前記のような河川自体の性質、周囲の環境、従来の利用状況等を考慮して慎重に決定すべき問題である。

そこで、本件の事実関係に即して、前記水門設備の安全性の欠如の有無について検討するのに、本件では、工事途中(第一期工事としては一応終了したが工事全体としては未完成である。)の前記のような状況からして、前記(一)に認定のような事故発生のおそれが予見される事情にあつたものである。

したがつて、同水門設備の管理者たる知事は右の事態に応じ、その危険を防除するための適宜の方途を講じて設備の必要とする安全性を保持すべきものであつた。その具体的な方法としては、水深が深くかつ水深が急激に変化する状況にあつて、付近に立入ることが最も危険な状態をもたらすと認められる同水門護岸のうち、東側土のう積みの部分への付近住民の立ち入りを遮断(付近における金網等の防護柵の施設等)するとか川中において「からみ」付近に近づかないような措置(杭などによる防止)をとることが最も緊要であつたと解される。

しかるに、〈証拠〉の各写真を見てもまた原審検証の結果によつても、本件事故当時までに、右のような措置が講ぜられた形跡はなく、むしろ、証人藤本捷行の証言(原審および当審)、同森山茂の証言および弁論の全趣旨によれば、管理者側は、同水門の設備に以上のような危険がともなうことについて全く認識を欠き、また前記のような措置を講ずるときは却つて出水時における護岸の安全性、堅牢性を害し、あるいは付近住民の河川に対する自由使用を妨げるものとして、前記のような措置はもとより、そのほかにも付近の住民に危険な警告するための特段の方途を講じなかつたことが認められる。

そうだとすると、同水門設備は如上の危険防除の方法を備えていなかつた点において通常備えるべき安全性を欠いていたことになり、その管理者たる知事の営造物管理に瑕疵があつたことは明らかである。

そして、営造物が通常備えるべき安全性を欠くときは、たとえそれが予算上の制約にもとづく場合であつても、その設置、管理に瑕疵がないとすることはできない(最高裁判所昭和四〇年四月一六日判決、判例時報四〇五号九頁参照、まして本件においては、前述の程度の危険防除措置を講ずることが必要とされるのにすぎないので、予算上の制約は問題とするにたらない。)し、また啓一の溺死事故について被害者である同人自身およびその監護者である被控訴人らにも過失があつたと認められることは後記のとおりであるが、それだからといつて、前記水門設備の安全保持に欠けるところがあつたことに変りはなく、その管理に瑕疵があつたことを否定することはできない。

控訴人の主張はいずれも採用できない。

四以上に説示したとおり、公の営造物である前記水門設備について、知事の管理に瑕疵があつたところ、啓一の溺死事故は右瑕疵がなければ避けることができたと考えられ、瑕疵と死亡事故との間に因果関係を肯定することができるので、控訴人は国家賠償法三条一項、二条により河川管理の費用負担者として(河川法三条、一〇条一項、五九条、河内川は弁論の全趣旨に照し、二級河川で愛媛県知事が同河川とその管理施設である同水門設備とを合わせて管理し、控訴人はその費用を負担する関係にある。)、同水門設備管理の瑕疵に基き啓一が溺死したことによつて生じた損害を被控訴人らに賠償すべきである。

五そこで賠償すべき損害の額について次に検討する。

(一)  啓一の得べかりし利益の喪失による損害についての判断は原判決のそれと同じであるから、原判決の理由四、(一)の記載のうち、初めから、原判決二六枚目裏五行目までを引用する。

控訴人は、啓一の得べかりし利益の喪失による損害額を定めるのについて、同人の死亡により被控訴人らが支出することを免れた養育費を控除すべきであると主張するけれども、当裁判所は養育費を控除すべきではないと解する(最高裁判所、昭和三九年六月二四日判決、民集一八巻五号八七四頁参照)ので、右主張は採用できない。

しかし、右損害のうち控訴人の賠償すべき金額を定めるのについては被害者啓一自身およびその監護義務者である被控訴人らの、後記のような過失を斟酌すべきである。

1  被害者啓一自身に過失があつたと認めるべきことは、原判決の判断と同様であるから、原判決の理由四、(一)のうち(過失相殺)の項の記載(但し初めから、原判決二七枚目裏四行目「認められる。」まで、および同八行目「右認定事実によれば」から二八枚目表一〇行目まで、に限り、かつ、二七枚目裏一二行目「転落すること」の次に「等」を加入する。)をここに引用する。

2  次に被控訴人らの過失の有無についてみるのに、〈証拠〉によれば、前記水門付近は、水が濁つていて河床の状態を見通せる状況にはなかつたけれども同水門が深くなつていることは渕のような様相を呈しているその場の様子を眺めることによつても、ある程度推測できる状況にあり、また被控訴人らは同水門の設置により同所付近の河床が低下して深くなり危険な状態に変つたことについてかなりの程度その認識をもつていたことは否定できないところである。

さらに本件事故の一週間前ごろにも被控訴人晴夫が水棲昆虫採集のため啓一を連れて同水門付近に行つたことがあることは先に認定したとおりであつて、啓一が水棲昆虫採集のために危険な同水門付近に行くおそれがあることは被控訴人らにとつて予測されないことではなかつたと思われる。そして、前記1において判断したように啓一が当時九才九か月の小学児童であつて、危険についての事理を弁識し、危険回避のための適応力をかなりの程度備えていたものと認められるにしても、その能力がいまだ十分でないことはその年令に照して明らかなのであり、もし水泳のできない啓一が独りで前記水門付近に立ち入るときは具体的な危険状況の場において判断を誤り、ひいては本件のごとき事故死を遂げるにいたることも、稀有ではなく、予測し得ないことではなかつたと考えざるを得ない。そうだとすると、事故当日の午後、被控訴人富子から啓一に対し、午前に昆虫採集をしたのでそれ以上の昆虫採集をやめるよう注意を与えたにしても、結局啓一を独りで前記水門付近に昆虫採集に行くのに任かせてしまつた被控訴人らに親権者として尽すべき監護義務を怠つた過失があるというべきである。

3  しかして、本件において控訴人の営造物管理に瑕疵がありその責任がいわば無過失責任として把握されるべきものとしても、本件の事故が河川の管理施設たる水門設備内の出来事であつて、元来河川が一般公衆の自由使用に供される反面において、利用者自らの注意により危険を回避しながら利用されてきたという一般の事情にも無視できないものがある。そして、このような事情をも加味して考察するときは、被害者側の過失は決して少なくないといわなければならない。

以上の諸般の事情を含めて被害者側の過失を斟酌すれば、前記啓一の得べかりし利益の喪失による損害額三四〇万一、五五七円のうち、控訴人の賠償すべき金額を一二五万円と定めるのを相当と認める。

(二)  啓一自身の精神的損害に対する慰藉料についての判断は原判決のそれと同じく金三五万円をもつて相当と認めるので、原判決の理由四、(二)の記載をここに引用する。

(三)  被控訴人らが啓一の父母であることは当事者間に争いがなく、同人らは啓一の右(一)、(二)の合計金一六〇万円の損害賠償債権を各その二分の一ずつ、すなわち金八〇万円ずつ相続したことが明らかである。

(四)  被控訴人ら各自の精神的損害に対する慰藉料については、〈証拠〉によると、啓一は二人姉弟で被控訴人らの唯一の男子であつたことが認められ、被控訴人らが啓一を不慮の事故により失つた精神的打撃が甚大であつたであろうことは推察するに難くない。そして、そのほか前記認定の瑕疵の態様、事故発生の経緯、前述の被害者側の過失等諸般の事情を併せて考慮すれば、被控訴人ら各自の慰藉料はそれぞれ金一〇〇万円をもつて相当と認める。

六以上に説明したとおりであつて、控訴人は被控訴人ら各自に対し、前記五の(三)および(四)の合計金一八〇万円を損害の賠償として支払う義務があるから、被控訴人らの請求はそれぞれ控訴人に対し右金額およびこれに対する弁済期後の昭和四六年九月九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり認容すべきであるが、そのほかは理由がなく棄却すべきである。

よつて、原判決は以上の結論と異なる限度で相当でなく、本件控訴は一部理由があるので、原判決を主文第一項のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(合田得太郎 伊藤豊治 石田真)

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